1+1=2を証明するためには1万ステップ以上かかるよ,という話
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2008/07/17(木) 18:31:55
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なんかすごいサイトを見つけてしまいました.
Metamath Proof Explorer Home Page
数学の基礎付けに関する 20 世紀の記念碑的偉業と称えられながらも,歴史上何人がこれまで読破したのか,と常にネタにされる Principia Mathematica (12 万円,2000 ページ!) に,1+1=2 の証明が載ってるっていうのはわりと有名な話だと思いますけど.
追記 : Radium Software Development 2006-06-30 : Proof that 1 + 1 = 2
# ちなみに,三巻組の大著の全文をオンラインで見ることができます."From this proposition it will follow, when arithmetical addition has been defined, that 1+ 1= 2.".
このサイトでは,全ての定理が索引付けでハイパーリンクされていて,例の 1 + 1 = 2 の証明も,トップレベルから全てのサブ命題を追うことが可能になってます.
Theorem o1p1e2 4165
なんと 1518 個のサブ定理を 11086 ステップかけて証明する必要があるそう.
定理っていうのは,プログラムにおけるサブルーチンみたいなものなんですけど. もし,途中の定理を全て「インライン展開」すると 10 億ステップを超えるとか.
ちなみに,us.metamath.org では,現代公理的集合論 ZFC (1+1=2 程度ならば,公理 C は必要ないみたいですが) を数学の基礎においているみたいですが,PM の初版では分岐階型理論 (theory of types),2 版では単純階型理論 (simple theory of types) という定式化が採用されているそうです.
ラッセルの論理学は確かに時代後れである。ゲーデルその他の数理論理学者の批判をまつまでもなく、ラッセルの論理学が厳密さを欠いているということは、いまや周知の事実である。たとえば、『数学原理』には公理は与えられているが、推論法則を欠いている。したがって、やかましくいえば、『数学原理』において公理以外の定理を導出することは不可能である。また、初版において用いられている分岐階型理論においても、また、一九二五年に発表された第二版において採択された単純階型理論においても、その定式化は甚だしく厳密さを欠いている。そして、これらの理論が組合せ論理学の立場から正しく再構成されたのは比較的最近のことなのである。
(中略)
すでに述べたように、『数学原理』に内在するいろいろの技術的欠陥を現在の進んだ立場からあげつらうことはむづかしいことではない。しかし、理性の分析、あるいは、その再構成という仕事に哲学史上はじめて着手することによって、十九世紀的理性、あるいは、ドイツ観念論的理性と訣別して現代への第一歩を踏みだしたという点において、『数学原理』に代表されるラッセルの論理学の功績は永遠に残るであろう。したがって、『数学原理』が現代ヨーロッパにおげる最高の思想的所産であるというボヘンスキーの手放しの礼讃もけっして誇張ではあるまい。
ラッセルは哲学者で,メタ数学は 「数理哲学」 なんですよね.数学の道具を使って,人間知性を哲学している.
もう一つ引用.
バートランド・ラッセルのポータルサイト (著書解題4)ラッセル著『数理哲学序説』(中村秀吉・解題) 『ラッセル協会会報』n.4(1966年5月)pp.3-5.
ラッセルのこの方面で業績は、師のホワイトヘッドとの共著である大作『数学原理』に集大成されているといってよい。かれは1900年から1910年頃までの、かれの人生における最良の10年間をこの仕事の完成に惜しみなくささげたのである。しかしこの本は非常に大冊であるばかりか、かなり冗長な、ほとんど退屈な記号の羅列なので、実際に通読した人はほとんどないといっても過言ではあるまい。これを通読した人は一ダースしかいないだろうとか、ことによると、これを書いたラッセルとホワイトヘッドだけではなかろうか、などといううわさもたてられたほどである。しかしラッセル自身はここにとりあげる『数理哲学入門』において、ほとんど記号を使わないでその平易な解説を試みたのである。この『数理哲学入門』は、ラッセルが1918年5月から1919年9月まで(松下注:「1918年9月」の間違い)、反戦運動のかどで、獄につながれていた間に一気に書き上げたもの(注:獄中での執筆)である。われわれは彼の集中力にも驚くのであるが、同時に、いかほど自分がやったことの要約とはいえ、ほとんど参考書もない不便ななかで、これほど明晰かつ性格に『数学原理』の要点を叙述できたことに一驚を禁ぜざるえないのである。 本書ではまず数学のもっとも基本的概念である自然数列から問題が説き起こされ、自然数の定義が導入される。がんらい哲学では、自然数を何か感性的対象とふつうの一般者との両面をもったもの、ないしその中間者として、独自の対象と考えられてきた。一方、ペアノは自然数の公理系をつくるのに成功し、ある命題群を満足する勝手のものとして自然数を陰伏的に定義した。ラッセルはこの両方の考え方にあきたらず、個々の自然数を相似な、個物のクラスのクラスとして定義した。これによって個々の自然数は純粋に論理的な慨念であるクラスに還元されることになり、その把握に何か特殊な直感力のようなものを必要としなくなったのである。同時に、ペアノの公理とは違って現実的個物との関係もつき、一と他の関係のような哲学的アポリアにも一応の答を用意できることとなった。
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メモ|TB:1|CM:3|
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コメント
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わっはっは、だれもコメントをかけてないようだな。
いまこそ、数学基礎論をとってた経験を活かすときっ!!
うん、まさにZFCの世界は純粋無垢な完璧な世界に思える。
その中での1+1=2が成立する瞬間など、感動のあまり号泣してしまうほどだ。
でもZFCでも不完全性定理は成立してしまうので、所詮数学といっても空想世界のたわごとだったのだよ。
所詮人間は完璧な論理などみつけることはできなかったのだ。
と、半年かけて授業の中で不完全性定理の証明をしてるのを見たにもかかわらず、理解できずにITで泥になってるおれが通りますよ。
そういえば、数学基礎論の先生は哲学の学会によくでてたなー(遠い目) |
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blueくん #-|2008/07/22(火) 00:05 [ 編集 ]
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ども,テンション高いコメントありがとうございます w
確かにおっしゃるとおり,算術を表現可能な形式システムは本質的に不完全になります.つまり,公理系で,全ての真なる命題をとらえることは不可能 (かならずその系の強さでは分類不能な,わけのわからないものが混ざっている)
それを数学の限界,ひいては人間の論理的思考能力の敗北,とネガティブにとらえることもできますが,むしろチャイティンの「メタマス!」のように,人間の生み出した数学もまた,人間と同様に,常に成長し続けなければならず,完璧はすなわち死という宿命を背負っているのだ,とポジティブに考えることもできますね.数学は氷付けにされた静的なロジックの宇宙などではなく,血肉の通った人間精神のダイナミックな象徴なのだと.
http://alohakun.blog7.fc2.com/blog-entry-867.html
まぁ,数学がたわごとに過ぎないってのは,その通りで.
しかし,本来たわごとであるはずの数学が,なぜこれほどまでに物理世界を表現可能なのか ? ってあたりを考えていくと,哲学になりそうですね.
むしろ人間の脳の構造,世界の認識のしかたあたりと,絡んでくるのかも.
人間がそう認識するから,そのようにしか認識できないから,世界がそのように存在するし,数学もそのように存在するのだ,とか.
なぜ 1+1=2 なのか ?
単なる定義の問題と言ってしまえば,その通りですが.
なぜそのような定義を人類は選んだのか ?
人間の脳に,数を認識する構造が存在するのか ?
それとも,数は人間の認識とは無関係に存在するのか ?
なぜ数学がここまで成功したのか ?
あるいは,数学が成功したのではなく,本質的に数学的なやり方でしか,人間は世界を客観的に表現できないだけなのか ?
不思議なことだらけですね. |
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あろは #wNX6xxGw|2008/07/22(火) 21:35 [ 編集 ]
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なかなかすごいプロジェクトで。コンピュータによる証明の人たちは、古典論理もZFCも嫌いな人が多いので、それをベースにしてくれるだけでもありがたいですね。
ちなみに、ゲーデルが一般連続体仮説と選択公理の無矛盾性を証明したときは、ZFに加えてPrincipia Mathemaiticaの公理系を使っても証明できることも主張していたはずです。
ゲーデルは、自分自身で証明した不完全性定理が大きく立ちはだかることを知りつつ、数学的命題の真理を知る一様な方法が存在すると信じていたんですよね。これが常人には理解しがたいところです。ある意味で、これは数学がダイナミックなものであるという信念だと考えることも出来ます。
数学が物理的現象などを表現するのになぜか有用であるということを指してよく、"unreasonable effectiveness"と言います。今wikipediaで調べてみたら由来もはっきりしている言葉なんですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Unreasonable_Effectiveness
どうしてそうなのか、というのは哲学者も議論する問題で、特に数学が全くの人工物だと主張する人はこれに対して難しい決断を迫られます。まあ、よくは知らないのですが。 |
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くるる #nLnvUwLc|2008/07/23(水) 13:50 [ 編集 ]
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『「相手にこう思われたらどうしよう」の一番簡単な捨て方』
あーよく死んだ。丸一日半死んでた。
そろそろ起きるか。 |
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404 Blog Not Found|2008/07/25(金) 19:19 |
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