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ホワット・ア・ワンダフル・ワールド

私は知識に何ものかを付け加え,また他の人々がより多くのものを付け加える手助けをした --- G.H.ハーディ

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プロフィール

  • Author:あろは (alohakun)
  • 京都で GCC やデバッガや仮想ハードウェアを開発しているサラリーマン。

    本ブログの内容は,あくまでも個人的な感想や意見であり,会社の意見を代表するものでは一切ありません.

    連絡先 : alohakun ___at___ gmail.com
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KMC Staff Blog

2009/07/03(金) 12:03:04

会社がブログを始めたので、僕もポチポチ記事を書いてます。

KMC Staff Blog

管理者は私ということになってますし、まだ私以外の人がほとんど書いて無いので、わりと私物化している感じになっちゃってますが。これからは exeGCC の開発をしている koba さんの GCC Tips や、GCC の ML を常に追っている QLeap さんの GCC ML Watch などが続々と連載されるようになるとうれしいですね (主に僕が)

まだ外部の人に委託して作ってもらったばかりなので、いろいろ不具合や使いにくいところがあったりするのですが、だんだんと良くなってきました。fc2 blog は、最近広告が入るようになったり、やたら重くなってきたりと使いにくくなってきたので、だんだんと技術系のネタは会社のブログに書くようになっていくかもしれません。
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Vala のインストール

2009/06/07(日) 22:19:13

Vala - Compiler for the GObject type system

C# like な言語で,C に落ちて,GLib オブジェクトシステムと完全に統合されている点が特徴の言語です.普通の言語だと,Gtk を使おうと思うといろいろ面倒ですし,誰かがラッパーを書いてちゃんとメンテナンスしてくれないと駄目です.僕はいままでまともに最新の Gtk が使える C 以外の言語を見たことがありません(だいたい古いバージョンで止まってたり,バグが多かったり,使えない API が多かったり,オブジェクトシステムとの統合が不完全なせいでいろいろと難しい問題 (GC との絡みが多い) があったり).Vala ではそのような心配はないようです.

Windows だと面倒ですが,ほとんどの PC-UNIX 環境では最初から GLib は入っていると思いますので,生成される C コード自体はかなりポータブルなんじゃないかと思います.しかもかなり手書きに近いコードを出してくれます.むしろ Vala って,GLib/Gtk システムを簡便に使うためのシンタクスシュガーという気がします.あんまり言語としての特徴は無いんじゃないでしょうか (あっても困りますが).

MSYS + MinGW 環境にインストールします.

一つ前の記事を参考に,GLib を入れておいてください.

あと,bison が要求されますので,ここらへんから適当に bin/lib/dep をダウンロードして MSYS ツリーに展開しておいてください.

Vala のインストール自体は,何も問題ありませんでした.普通に cofigure ; make ; make install してください.

コンパイルの際,Windows 環境では --cc=gcc を付けないとエラーが出てしまうようです.
$ valac.exe -o basicsample BasicSample.vala
error: Failed to execute child process (No such file or directory)
Compilation failed: 1 error(s), 0 warning(s)

$ valac.exe --cc=gcc -o basicsample BasicSample.vala

$ ./basicsample.exe
Hello World!

-C オプションを付ければ C コードが生成できて,こんなコードが
using GLib;
 
public class BasicSample : Object {
 
    public void run() {
        stdout.printf("Hello World!\n");
    }
 
    public static int main(string[] args) {
        var sample = new BasicSample();
        sample.run();
        return 0;
    }
}

以下のようになります.ちなみにこの C コードは,普通の GLib アプリケーションとしてもコンパイルできます.
$ gcc `pkg-config --cflags glib-2.0 gobject-2.0` BasicSample.c -o bs `pkg-config --libs glib-2.0 gobject-2.0`

$ ./bs.exe
Hello World!


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GLib の MinGW + MSYS 環境へのインストール

2009/06/07(日) 16:35:52

GObject という,独自のクラスシステムを C で全部構築したという素敵なライブラリがあります.GLib に含まれています.完全に動的なクラスシステムとなっているので,実行時にクラスやインタフェースの情報を参照したり,変更したりが可能です.C++ や Objective-C と違って,構文は C のままなので,ものすごく冗長になります.

そこで C# like な構文から GLib を使う C ソースを生成する Vala という言語があるそうです.twitter で tkng さんに教えてもらいました.

Vala - Compiler for the GObject type system

GLib は Gtk の基礎となっている (というか Gtk から分離された) ライブラリなのですが,Mac OS X が Objective-C を採用したように,動的なクラスシステムを持つ言語の方が,いろいろと GUI システムと相性が良いのだと思います.

今回は全部ソースから入れてみます.環境とかは以前まっさらから作った,gcc 4.4-20090313 という微妙なものです.たぶん普通の MinGW 環境でも大丈夫だと思いますが,GCC が古い (普通の MinGW では 3.4.5 とか) といろいろ問題が起きるかもしれません.

基本的にはこの記事の通りにやれば良いだけなんですけど,自分の環境ではいろいろ足りなかったので補足.

iconv のインストール : http://www.gnu.org/software/libiconv/

バージョンは 1.13 とかを使いました.普通に ./configure ; make ; make install すれば良いんですけど,make install の途中で /usr/local/bin/iconv が No such file or firectory とか言われてしまったので,libiconv.exe からシンボリックリンク張りました.$EXEEXT とかがちゃんとなってないんですかね.

gettext のインストール : http://www.gnu.org/software/gettext/
$ tar zxvf gettext-0.17.tar.gz
$ cd gettext-0.17
$ ./configure --with-libiconv-prefix=/usr/local/

あとは普通に make && make install.iconv.h が無いと途中でこけます.けっこう時間かかります.core 2 とかの人は -j 2 付けておくと良いです.

途中で rpl_optarg なんてシンボルは無いとリンクエラーが出たから,ここらへんを参考にして gettext-tools/woe32dll/gettextlib-exports.c の
/*VARIABLE(rpl_optarg)
VARIABLE(rpl_optind)*/

あたりをコメントアウトしました.

GLib のインストール : http://ftp.gnome.org/pub/gnome/sources/glib/
$ tar jxfz glib-2.21.1.tar.bz2
$ cd glib-2.21.1
$ echo "#!/bin/sh" >> pkg-config
$ chmod +x pkg-config

後は普通に.gettext が入ってないと configure の途中でこけます.

pkg-config のインストール : http://pkgconfig.freedesktop.org/releases/

ようやく最後.
$ ./configure --with-pc-path=/usr/local/lib/pkgconfig/
$ make -j2
$ make install
$ pkg-config.exe --cflags glib-2.0
-mms-bitfields -IC:/msys/1.0/local/include/glib-2.0 -IC:/msys/1.0/local/lib/glib
-2.0/include

とりあえずこれでインストールは終了.
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人は死ぬから生きられる

2009/06/06(土) 23:16:32

人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答

タイトルがいかにも新書臭いですし,禅僧の話は面白そうなんだけど茂木健一郎が余計だな… とか思う人 (というか自分) もいるかもしれませんが,面白かったです.

茂木さんは言わずと知れた,科学者なのにうさんくさいクオリアとかよくわかんないことをいつも言ってる人で,「プラズマ」 の大槻教授みたいなポジションでテレビに出て専門外のことについても適当なことばかり話している何やってるかよくわからない人というイメージがあるかと思いますが (笑) III 章の後半あたりに,その辺の考えや自身の立ち位置について書いてありました.
茂木 よくわからない存在ほど,心地よいものはないですよ.生きていることの実感を一番強度のある形で引き受けるには,分類不能な何ものかわからないものになるのが必要じゃないですか.(p.155)

南さんも南さんで,禅僧なのに 「言語化」 や社会への歩み寄りの重要性を強調する人で,どちらも業界の人から見れば 「異端」 な人たちのようです.

I 章がちょっと自分的には退屈で 「京極夏彦の鉄鼠の檻の方が衝撃的だったよ」 などと思いながら読んでいたわけですが,II 章の後半が非常に良かったです.

僕はわりと田口ランディとか,そういう電波系とか呼ばれるような作家の書くものに共感を持ってたりして,一歩間違えるとわりと危うい方に行っちゃうような世界も好きだったりします.

科学 (還元論,理性,西洋的) 禅 (全体論,身体性,東洋的) というようなステレオタイプがあると思います.現代は科学が支配的なので,禅の方はよくわからないものと扱われがちなのではないでしょうか.

とくに,文字の否定,言葉にした時点で本質が失われてしまう,実際に一人一人に体験させるしか伝える手段が無いという 「不立文字<ふりゅうもんじ>」 という禅の教義と,言葉で世界<パラダイム>を作り,積み上げるという近代科学は全く相反する感じさえします.

科学は人が作ったものなので,人間の精神の 「因果律」 という側面の影響を強く受けています.本来,人が生まれ,死ぬことには何も理由がありません.理由が無いで生きていられるほど人は強くないので,強く因果を求めます.自分が自分である理由を求めます.これはもう人が人であるための本能というか,DNA レベルで刻み込まれた思考ルーチンです.

仏教からすれば,空の世界を分割し,意味を与えることこそが,人間の営みの全てであり,全ての苦悩の始まりでもあります.自己を背負わされて生まれ,男は権力を求め,女は美を求める,人間の欲望の類型かと思います.ちょっと考えてみると,どちらも他者の存在を前提としています.全ては関係性において存在しているもので,関係が関係を,因果が因果を生み出し続け,どんどん世の中は複雑になっていきます.

その誰もが無意識のうちに行っている,分類や論理性,客観性の結晶が科学です.「原因があって,結果がある」 美しい世界.この世界の中で生きていられる限り,心の平穏を保てるかもしれません.その意味ではまさしく科学万能,素晴らしい.

もちろん,世界はそんなに綺麗にできてはいないのですが.因果律を無視した無慈悲な現実だらけです.当たり前です.そういう時どうすれば心の平穏を保つことができるのでしょうか.また同じ因果律の枠組みの中で理由探しの旅に出てしまうと悲惨です.先祖の供養が不十分なので,壷を買わないといけなくなります.世の中にはなぜか全てを知っている人がたくさんいて,どんなことでも分析され,批評され,因果律に組み込まれてしまいます.

科学の解体主義,それを徹底的に推し進めていった先には 「一切皆空」 という絶対的な仏教的真実があるわけですが,それでも人間は生活していかなければなりません (田口ランディのエッセイは,ここらへんの,あっち側の世界と日常生活の対比のさせ方が非常に上手くてリアリティがあると思う).

もう一度,解体したものをどのようにして再び組み上げて,日常生活に戻っていくのかという点は,個々の人々にゆだねられます.人間は,一生それを繰り返して,自分を作り続けていかなくてはならない定め.そのいつ崩れてもおかしくない危ういバランスの上に成り立つ自転車操業こそが,生命の本質なのですから.

統合失調症という病気がありますが,禅の世界では統合の失調が日常茶飯事のようです.座禅を組むたびに,自分という存在はバラバラに解体されて消えてしまう.

しかし私たちは近代資本主義社会という,人間の本質とは矛盾する社会で生きていかなければならない定めなので,社会のルールに合うように自己を再統合しなければなりません.あるいは統合に失敗した人がルール違反(犯罪)を起こした場合,その人はこの世界の中では裁くことさえできないので,単に排除されるだけです.後には矛盾が生み出した歪みだけが残ります.

「苦」 に関しての考察は素晴らしいと思いました.普通の意味での苦しみではなく,生きている限り続く本質的な意味での 「苦」 仏陀は生きることはすなわち 「苦」 であると悟った.生きている限り絶対の安定や平穏は手に入らないし,逆にそうなってしまったら生きているとは言わない.

南さんは,仏教は救いや癒しなどは何も与えない,むしろ極めてエキセントリックで,これ以上無いほど無慈悲なもの 「成仏というのはようするに人間ではなくなるという話で,仏教の本質に人間性とかヒューマニズムはありません (p.54)」 と言い切ります.

印刷技術やインターネットの普及で,文字としての情報は格段に手に入りやすくなったわけですけど,やはり文字は現実のほんの一側面しか表現できないということを忘れてはいけないと思います.

僕がなるほど,と思った一節.
南 人間が考え方を変えるには,生き方を変えるしかない.人間は頭で自分の考え方を切り替えることは,ほぼできないですね.生活を変えない限りは絶対に駄目だと思います.根本的には変わらない.

(中略)

南 もちろん私は,近代なり現代の科学が作り出した認識体系なり思想体系というものが,大きな効果を上げているということは存じております.
存じておりますが,それとそのリアルなもの,要するに人が生きるという上で何かを掴むということとはどうやら別ですね.どんな偉大な哲学も思想も,やはり限定された条件と範囲の中でしか成立しない.それは人間の生のある部分にすぎない.全体ではない.それは当たり前のことじゃないですか.(pp.109-10)

現代社会では欠落や欠乏は無条件に悪です.わかりやすい価値観.何かを手に入れるたびに何かを失った気がして,「現代社会には XXX が欠けているので駄目だ.もう一度 YYY を取り戻すべきではないか.」 というような話が毎回でてきます.

この本で禅僧の南さんは 「欠落自体が錯覚だ」 と看破します.
南 「欠けたもの・失ったものを探す」 というやり方では絶対に捉えられない.欠けた 「もの」 も無くなった 「もの」 もない.ただ 「欠ける」 んです.ただ 「無くなる」 んです.だから探しようがない.それを 「何かが欠けた」 と誤解すると,人はいろんなものをでっちあげてしまう.

(中略)

南 悲しいのは何が欠けたのか絶対にわからないようにできていることです.「何か」 が欠けるのではない.欠けるということで成立しているのが人間の意識であり,存在なのでしょう.

これだけだと何の救いもありませんが,もちろん永久の救いなんてものはありませんが,一瞬欠けたものが埋まるような感覚が,人生には何度かあるはずです.南さんも,その一瞬のために,つらい修行も耐えられるし,生きていても良いかなと思うそうです.田口ランディもエッセイの中で似たようなことを言っていた気がします.無頼伝 涯にも同じようなシーンがありましたね.

わりと,ここらへんなんじゃないかと思いました.
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一日一生

2009/05/31(日) 23:14:33

なんとなく数冊買った新書の中の一冊.

一日一生 天台宗大阿闍梨 酒井 雄哉 (著)

この本の何がすごいって,文章が淡々としすぎていること.

もちろん,酒井大阿闍梨が文筆家ではないので,ドラマチックな表現を使わないとか,そういう技巧的な技術が未熟というのはあるのかもしれませんが.

普通,文章を書くとき,特に自分の自伝を書くときって,やっぱり無意識のうちに肩の力が入ってしまうし,自分を大きく見せようという自己顕示欲が働いてしまうのが普通なのではないかと思います.

# 追記 : 最後まで読んで気が付いたけど,この文章,聞き手の人が書いたらしい.そういえば酒井さんは,文中で,字の読み書きができないとか言っていたなぁ.まぁ,同じことだと思います.人に話をする時などは,よりいっそう誇張表現などが入って,すごいと思われたい!感心させてやろう!という気持ちが入るのが普通だと思いますので.

この本,大阿闍梨が普通の人にしか見えません.勉強ができなくて,何をやっても中途半端で,くだらないイジメもしたし悪さもした,特に何かあったわけでもないのに仕事を投げ出し,良い歳してふらふら職を転々としたあげく,ようやく周囲の後押しで 33 歳で結婚したのに,二ヶ月で奥さんに自殺されてしまう.いろいろなきっかけがあって,出家したのが 39 歳.ここまで,何もかも失敗続きの人生です.

もちろんこれは,途中で止めることは許されず (自害用の道具と六文銭を持って挑む),7 年 1000 日の修行, 4 万 km を歩き,堂入りでは 9 日間不眠不休で 10 万回経を唱える (生きて堂を出られるかわからないので,生き葬式と呼ばれるらしい) というとんでもない荒行を 2 回も達成し,天台宗大阿闍梨 (400 年で 3 人しかいない.それも最高齢で) となった高僧の自伝です.

なのにこの 「等身大の普通の人」 感はすごい.というか,高僧の書く文章って,やっぱりこういう風になるんだなと.

どの文章も,深遠そうな感じをだそうと思えばいくらでもできそうなのに 「〜だと思ったよ」 「〜 だなぁ」 「〜かもしれない」 まるで素人のブログのように淡々としてます.字面だけを見ると,全部どこかで聞いたような話になっちゃってる.2 回目の荒行に挑んだ理由も 「他にやることが無かったから」

もちろん良い文章も多いんだけど,僕は 「癒された」 とか 「勇気をもらった」 とか,そういうありがちで思考停止な感想は書きたくないんですね.「自分なりに腑に落ちると,人はついそこで考えるのをやめにしちゃう」 けど,一生考え続けることが大事.あと,実践すること.行動で示すこと.身体で表現すること.まぁ,文章にした時点で,自分の文章力ではどうしても陳腐な感想になってしまうわけで,最初から負けているわけですが.せっかくなので書いておきます.

現代社会では,ちょっと失敗してレールから外れたら落伍者扱いされてしまう感じですよね.例えば 40 歳まで引きこもってた男性が社会復帰を目指してハローワークに通い始めたようです,みたいなスレが 2 ちゃんねるとかに立つと 「40 で職歴無しとか,もう詰んでるだろ」 とか「中途半端に希望を与える方が残酷」 みたいな感想が普通です.

こんな偉いお坊さまが,40 歳から修行を始めたって話はなんか良いですよね.挫折だらけ,失敗だらけの人生であっても,社会的な出世は絶望的かもしれないけど,心の平穏は得られるかもしれない.そしてそれこそが,実は全てであると.

もちろん,過去の積み上げは大事ですし,それができない人間は現代社会ではクズ扱いされてしまいます.しかし,本来は,過去が駄目だったからといって,未来まで否定する理由は無いんですよね.

「一日一生」 毎日生まれ変わる.昨日嫌なことをされた,気に食わなかった人であっても,それは前世の話.今日はまた一から付き合いを始める.毎日新しい人生が生まれる.飾らず,自分を大きく偉く見せようとせず,身の丈に合うことを繰り返すこと.かといって単なる思考停止ではなく,考え続けること.歩き続けるうちに,動き続ける間に,いろいろな智慧が生まれてくる.

「生きるってことは動くこと」 と,麻雀漫画 「天」 で赤木しげるが言ってましたが,考えているだけ,知識を集めているだけではなく,一歩動くこと,それ自体が人生そのもの.

桜には日本人の死生観があらわれてるとかいうけど,桜からしたら単に一生懸命咲いてるだけだし,そんな風に思われたくないんじゃないかなぁ.という文章がありました.散ったから,散るからといって寂しがる必要は無い.どのみち 「今日一日だけ生きる」 のだから.

先のことを考えすぎると気が重くなるかもしれないけど,今日一日だけなら生きられるかもしれない。今日一日だけ,一日だけ,を繰り返しているうちに,いつの間にか一生を生きている.

動いても,思うように結果は出ないかもしれない.結果が出るのは,三代後かもしれないし,何回も生まれ変わった後かもしれない.それでも,未来は変わるのかもしれないと思うと面白い.全ての命はつながっているのだし,一日生きることも,十年生きることも,一生生きることも,何も変わらない.

「82 年生きてきたけど,たったの三万日っきゃいきていないんだね」

一つ一つの文章の長さが自分にはちょうど良かったです.ちょうど一息で読める長さの文章がたくさん集まっている感じで,読んでいてダレません.文字数自体は少ないので,30 分もあれば目を通せると思います.

90 日もの長い間横にならないで経を唱えながら歩き続ける荒行.これが終わった後,感覚が元に戻るまで 1 年もの歳月がかかるそうです.習慣が人の心を狂わせてしまうこと,たった 90 日の修行であっても,その後長い間後遺症的なものに囚われてしまうことを,まさしく身を持って知るわけです.そうなると,世間の常識に囚われないで生きられるようになる.人間のものの見方なんて,どうとでも変わってしまうということを学んだから.

とにかく淡々としているのが印象的.偉業を達成したとしても,悟りを開いたとしても,何も生活は変わらない,変えないで淡々と生き続ける.「足が疲れたならば,肩で歩けば良い」 その境地こそが悟りなのだと,行間で言っているように感じました.
もちろん、物事には目標もあるしゴールもあるけれど、昨日何かが終わったからといって、突然、次の日に、今までと全然違う新しい世界が開けるなんて、人生はそういうもんじゃないよね。

でも何も変わらないようにみえても、自分自身はいつもいつも新しくなっている。毎日毎日生まれ変わっているんだよ。一日だって同じ日はないしな。(p.35)
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